フランス語学留学2019-2020

フランス語学留学の記録

「フランスだから」「日本人だから」「ゲイだから」

 

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 日本人だからこう、という括りで判断されるのはいやだったから、私も「フランス人」だから、とか「フランス」だからこうだよね、という見方を極力しないように努めた。フランスに留学した3カ月半で目に止まったことの全てから一旦「フランスだから」というフィルターを取り払わなければ、彼ら一人一人が作り上げた「生」が「フランス」という単語の中に吸い込まれて一括りになってしまう。

 

 ホストファミリーの二人のパパのことは、どうだろう。どんなお家だったの? と聞かれれば、「男性同士のカップルのお家だよ」と答えて、「moderneだね(現代的だね)」とか「おお(すごいね)」という反応が返ってくる。「ゲイのカップルさんのおうち」と言う必要があるのだろうか。ちなみに、「パパ」と呼びたくなるのは、最終日の最後の朝ごはんの時に「君が僕たちの養子になる手もあるよ」と言われたから。ゲイの二人は結婚当初から養子縁組のために様々な手続きを進めていた。私と彼らは同じ年代に属しているにも関わらず、言語能力的には「子供」と「大人」だったこともあって、私は彼らをパパとパパと呼びたくなる。

 

 でも(mais ではなくて、pourtant くらい強いニュアンスね)、彼らが話してくれたフランスで同性婚を認める法律が制定された際に起きた「人間狩り」のことや、とりわけ保守的な地域に存在する人々の否定的な態度などを思うと、彼らの「生」を「ゲイのカップルさんのおうち」とはっきり表して、伝えることが必要だと思う。つい先日、欧州で、アンジェイ・ドゥダがポーランド大統領に勝利したことからも、その必要性を強く感じる(彼は、 « lidéologie LGBT" est "plus destructrice que le communismeと発言した)。

 

 あなたの人種はなんですか? あなたの性的嗜好はなんですか? それを、つまり変えようのないことを、変える必要のないことを、外敵圧力に脅かされているのなら、変えなければいけないのはそちらの方。こうしたことを自分の言葉として発信したくなっただけでも、コロナ禍の2カ月前に、今となっては滑り込んでフランスに入国した意味があったなと思う。

 

リヨン最終日の夜に

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リヨン最終日の夜に、フランス在住のお世話になっている人たち全員へ「帰ります」というメッセージを送りました。そのうち会いましょう、と伝えていた人もいたのでみんな大変な時だろうとは思いましたが念のため。

 

こちらは大切な返信の一部。

Bonjour, Tu as bien raison. Pars vite et je te souhaite un bon retour dans ton pays et ta famille...」

「Oui, ta raison de rentrer au Japon. C'est moins pire là bas je pense」

「On va se revoir au Japon ou en France ! À bientôt !」

誰も「なぜ帰るの?」と問うことはなく、「正しい選択だ、早く帰ってね」という反応でした。でも、どれも「また会おうね!」と結ばれていたことが嬉しく、それがたとえ決まり文句だったとしても、この時の私にはとても響きました。本当は、帰りたくなかったから。帰ることに一切の迷いはなかったし、家族のいる場所に帰れる安堵感で数日ぶりに落ち着いていたけれど、 やり残したことをリヨンに山積みにして出て行く気がしました。

 

留学生にとって、帰国日は唐突にやってくるのです。アメリカに留学した方の中には「寮からあと3日で出て行ってくれ」と言われ、緊急帰国した例もあると聞きました。国境の閉鎖に都市封鎖、飛行機の減便という尋常ではない状態で移動したからこそ、帰国者の方々のコロナウイルスに対する声は緊迫感に満ちていて、日本と海外との間にある大きなギャップに当惑しているように見えます。

 

動かないから疲れない体に緊張が加わって、数日ずっと眠りが浅かったのですが、最終日の夜は、久しぶりに寝られる予感がしていました。何通か返ってきたメッセージを全て読み終え、スマホを枕元に置いて電気を消し、23時半に就寝。この日までに限っていえばやり残したことはない状態になってやっと落ち着くことができました。

 

30分ほど経った頃でしょうか。突然、長い電子音が鳴り響きました。驚いて飛び起きた私は、「母から飛行機キャンセルの連絡が入ったのかも!?」と焦りながらスマホの画面をスワイプして「はい、はい!もしもし!?」と日本語で応答します。深夜の電話は緊急の可能性が高そうな気がして。3月17日の23時には、フランス政府からいきなり外出禁止令に関するメッセージがきていたこともあって、夜の電子音には敏感になっていました。

 

(続きます)

 

 

 

 

 

 

 

【仏留学中止】移動制限措置発動中の帰国④〜リヨン・サン=テグジュペリ空港〜

「こんなに静かなサン=テグジュペリ空港は初めてだわ」

私を送ってくれたタクシーの運転手さんが着いた瞬間に思わずこう口にするほど、外出禁止令下のリヨン・サン=テグジュペリ空港は閑散としていました。どこをどう歩いても他人と1mの距離は容易に取れるくらいガランとしています。早朝でも深夜でもなく、出発にはちょうど良い時間帯なのに。

 

電光掲示板をざっと見ただけでも半分近くの便が欠航になっていました。仏国内はナント、トゥールーズストラスブール、ニース、ポワティエ、リモージュ、ポー行きが欠航。国外はミュンヘンデュッセルドルフアムステルダム、ジェルバ島(チュニジア)、チュニスがその対象となっていました(午前中の電光掲示板調べ)。

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たった2カ所しか開いていない荷物預かりカウンターには、それでも人が並ぶことはなく、搭乗待ちの乗客は待合スペースにも20人もいなかったように思います。国籍に限らずほとんどの人がマスクを着用していました。語学学校で先生が「マスクはアジアの文化よね」と言ったのはつい最近のことなのに。

 

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「マダム!それ以上近づかないでください。1m離れなければいけない決まりですから」

スーツケースをベルトコンベアーに載せようと一歩前に足を踏み出そうとした私を、担当の女性が笑顔できっぱりと遠ざけました。「 Bonjour! 」と気持ちよく迎えてくれた時と同じ声色と、機械で測定しているような"1m間隔"への正確さから、まるでAIに接客されているような気分になりました。搭乗前に並ぶ場所には床に1m間隔でテープが貼ってあり、どこであっても他人に触れることがないよう徹底した対策が取られていました。

 

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コンビニのようなRelayというお店には明かりが点いていましたが、スターバックスロクシタン、免税店などの飛行機を飛ばすことに関係のない設備は全て、いつまで続くかわからない臨時休業に入っていました。

 

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旅をする人々が持つ特有の高揚感や疲労感が混ざり合った熱気が全くない空港は、ただの待合室のようでした。今までのフランス旅行では、いつだって「空港」で旅の始まりと終わりを感じてきたのに、それを全く感じない。必要不可欠なもの以外は存在しない空間が持つ、彩りのなさの寂しさを最後の最後まで感じることになりました。

 

【仏留学中止】移動制限措置発動中の帰国③〜部屋の解約〜

2月初旬に入居したアパートを3月中旬に解約する。仕方のないことですが、やっとそれぞれの場所に落ち着いた私物を再びスーツケースに押し込む時は、さすがに「早いなぁ」、「やっぱりここにいたいなぁ」と思いました。買い足したシーツやタオルは捨てて、5ロール余ったトイレットペーパー(貴重…)や洗剤は次の人のために置いておくことにしました。

コロナウイルスの影響で急遽帰国することにしました。●日に退去することはできますか?」と入居立会いをしてくれた担当者の女性に16日の午前中にメールしたところ、約1時間後に返信がありました。

「恐らく明日から外出できなくなるから、今日の15時に退去立会いをしましょう。あなたは出発日までホテルに泊まることはできる?」

 

…3時間後に出て行けと!?それは、無理。この時すでに、ホテルが医療用に充当されるかもしれないと耳にしていたこともあり、リスクは極力回避するべく、この提案は断りました。

この時、外出禁止令の発表はまだされていませんでしたが、マクロン大統領が20時から何かを発表するらしいことは私でも知っていました。フランス人からすれば、ある程度予想はついていたのでしょうね。より厳しい措置が取られるということが。

 

退去立会いは「テレワークが不可能な仕事」に該当すると思いますが、会社から許可が下りなかったらしく、結局、担当者の方とは会わずに部屋を後にすることになります。私物は全て廃棄し、掃除をし、添付の資料に基づいて退去時のチェックを行うこと。また、退出時に必ず電気の元電源を切ってください、とメールで指示がありました。最後は「Bon courage ! 」と結ばれていました。鍵の返却方法だけが唯一気掛かりでしたが、私の飛行機が万が一飛ばず、引き返す時のことも考慮した提案をしてくれました。

 

フランスの対応は、この退去の時をはじめとして、どこでも速やかで理に適ったものでした。私のフランス語力が足りないせいで、困らせる場面が多々あったにもかかわらず、最後には全てうまくいったのは、対応してくれた方々の機転のおかげだと思います。

 

部屋を出る日の朝、最後の朝食を食べてお皿を洗い、ゴミを出して、きちんとお化粧をしました(数日ぶりに)。パジャマから着替え、最後にそれをスーツケースにしまい、忘れ物がないか確認しているとタクシーの運転手さんから「J'arrive dans3 ! 」とメッセージで連絡が入ります。最後は感傷に浸る間もなく、慌ててスーツケースを廊下に出し、マフラーを巻きました。ドアを閉める前に、分電盤のつまみを左から右に回した瞬間、部屋中の電気が落ち、真っ暗になって、無事ひとりの退去立会いが終了しました。よく晴れた気持ちのいい気候の中での出発となりました。

 

 

 

 

 

 

 

【仏留学中止】移動制限措置発動中の帰国②〜航空券の確保〜

3月16日(月)、フランス全土で学校が閉鎖された日に、その週のうちにフランスを出ることを決めました。2月初旬に落ち着いたばかりの部屋から出て行く虚しさは、その時にはもうありませんでした。自分が健康なうちに、移動手段があるうちにとにかく帰らなければ、という様々な種類の焦りを感じていました。

 

やらなければいけなかったことは、

航空券の確保

アパートの解約

リヨン・サン=テグジュペリ空港までの移動手段の確保

電気(edf)の解約

スマホ(free)の解約

 

です。優先順位が高い順に並べています。

 

まず、「航空券の確保」について。私はエールフランスのサイトから直接購入しました。代理店の販売サイトで7万円台の便を一つ見つけましたが、往路破棄の可能性が高かったため見送り。その他の便は全て30万円台。そこで、初めてエールフランスのサイトで検索をかけたところ、往復であれば片道3万円台から購入できることを知ります。学生ビザの期間がまだしばらく残っていたこともあり、いつかは戻るだろうという希望的観測で往復で購入しました。空港利用税も含めて約10万円で済んでいます。

 

エールフランスのサイトで購入すると「ライト・スタンダード・フレックス」の3種類からチケットを選ぶことができます。フレックスは日程変更もキャンセルも可能ですが値段はライトの約3倍(購入当時)。スタンダードは手数料を支払えば日程変更可能で、ライトと1万円も値段が変わらなかったため、私はスタンダードのチケットを購入しました。ちなみにライトは通常、変更も破棄もできません。今は、コロナウイルスの影響により払い戻しを受けてくれることがあるようです。

 

月曜日の時点で、火曜と水曜は片道30万円台のチケットしか残っていませんでした。木曜日と金曜日にそれぞれ3便ずつ手頃な値段の便がありましたが、そのうち1便はオランダ経由。EU域内の移動制限が発令されていたので、直行便で取る必要があったことを考えると、残されていた便は4便だけでした。

 

アパートの契約解除が気がかりでしたが、それより先にまずチケットを購入しました。「大抵のことは後からどうにかなる」と信じて、優先順位の高い順から順番にこなしていく大切さを学んだように思います。

 

 

 

【仏留学中止】移動制限措置発動中の帰国①

17日正午より発令されたフランスの外出制限の内容(※現在は夜間外出禁止令もある等の変更があります)です。こうした制限が掛かる中で、私はリヨンからパリへ移動し、日本へ帰国しました。

 

●《野外における集会,友人や親族との会合は禁止》

→理由がなければ親族ですら自由に会いに行くことができない。

 

●《1メートルの距離を守り接触を避けた形での買い物》は認められる。

→私が住んでいたリヨン市のとあるスーパーの入口の前には10人ほどの列ができていました。店内に一度に入れる人数が制限されていたからです。これも全て、距離を取るため。

ちなみに、会計の際、受け渡しによる店員と客の手の接触を阻止するため、現金の利用は禁止され、レジ係はゴム手袋とマスクを装着していました。

 

●《通院,テレワークが困難な場合の通勤,若干の運動といった必要な外出》、また《子供の保育又は脆弱な人の支援のための移動》は許可される。

●《運動(個人で行い,自宅の周囲で,人の集まりを伴わないものに限る)》

●《規則に反した者は罰則を受ける》

 

なお、許可されている移動であっても、許可証の携帯は必須となります。個人の移動の場合は自身で作成しますが、仕事の場合は会社や上司の許可がいるようでした。26日現在は、行き先や移動時間も書かなければいけないようですが、17日時点の項目は、「氏名、自身の住所、外出の目的」でした。

 

領事館に確認したところ、「帰国のための移動」は許可項目に含まれていないが、念のため日本へ帰る旨を記載した許可証を携帯し、パスポートと旅券を手元に用意しておけば問題はないだろう、ということでした。私は、途中で検察対象になることはありませんでしたが、帰国の際に「パスポート持った、Eチケットはここに保存した、外出許可証も持ってる」と確認するなんて、まるで行きとは違う星から出て行くような気がしました。リヨンの街はよく晴れていて、車通りも多く、最後にタクシーから数日ぶりにローヌ川を見ることができて、嬉しかったことを覚えています。

【仏外出制限】罹患者数の推移と制限措置の段階的移行

東京都知事が「今週末の不要不急の外出自粛」を発表しました。オリンピック延期が決まり、事態が動き始めています。ちなみにフランスは、レストランやバー、クラブなどを閉め、不要不急な外出は控えよ、という通達が14日に出されていたのですが、選挙は例外に当たるとして市議会議員選挙が15日に予定通り実施されました。投票後、春の気候の気持ち良さもあってか、街や公園で普段通りに過ごす人が多かったため、16日に「明日の正午(17日正午)から外出の際は許可証を携帯する外出制限措置を行う」と発表があったのです。

 

この流れを、フランス国内の罹患者数の推移と共に見ていきます(※罹患者数は在リヨン領事館のメールを参照、《》内は領事館のメールの抜粋)

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12日(木): 1日の増加数 283 / 仏国内総数 2,876
13日(金): 1日の増加数 785 / 仏国内総数 3,661

 

14日(土): 1日の増加数 841 / 仏国内総数 4,449

→《14日(土)24時から,新たな指示があるまで,レストラン,カフェ,映画館,ディスコ等が閉鎖される。また,食料品,薬局,ガソリンスタンド,銀行,タバコ・新聞販売所といった国民生活に必須のものを除き,全ての商店が閉鎖される。(...)真に必要な買い物,運動,投票等を除いて,外に出ないでほしい。》という発表がフィリップ首相より突然出される。

 

15日(日): 1日の増加数 924 / 仏国内総数 5,423 

→全国で市議会議員選挙を実施。

 

16日: 1日の増加数 1,210 / 仏国内総数 6,633

→全土の学校が閉鎖される。同日20時、マクロン大統領がテレビ演説で外出制限を強く求める。17日正午から実施される外出制限下では、必要な外出でも証明書の携帯が必須となる。

 

17日: 1日の増加数 1,097 / 仏国内総数 7,730

→許可証がなければ外出できない制限措置が開始される。

 

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14日のレストランやバーの閉店は、発表した日の24時から即開始するという唐突さゆえに何店か守らずに開けていた店舗もあるようです。また、16日のマクロン大統領の発表も、学校閉鎖が始まったばかりなのに、という唐突感がありました。ここから飛行機の減便や公共交通機関の減少も始まります。「移動」に関するありとあらゆる措置が容赦なく取られていきます。緊急事態下において国家というものは、個人の細かな事情などほとんど構わずに、大胆かつ迅速に動いていくものだと実感しました。

 

これから日本がどう舵を切っていくのか分かりませんが、移動を自粛する動きが広がってきている今、罹患者の増加は止まる気配がないのではと想像します。手洗いをし、顔は極力触らず、フランスに習うならば人との距離を1m開けて(銀行や空港は1m開けて並べるように床にテープが貼ってありました)、人混みは極力避ける。日本に帰国し、欧州との日常のギャップを強く感じたからこそ、フランスの様子を書きました。コロナウイルスの1日も早い収束を心から願っています。