フランス語学留学2019-2020

フランス語学留学の記録

【留学中止】不安定な1カ月半を終えて

コロナウイルスに関してダイヤモンドプリンセス号が世界の話題の中心だった時、フランスではそれを遠い国の出来事として取り上げていました。アジア人蔑視による暴行事件や日本食レストランの襲撃が起こっていたのはこの頃です。フランスで最初の感染が確認されたのは2月26日ですが、その時、コロナウイルスは「アジア人が持っているもの」として捉えられていたように私は感じています。「あ、コロナウイルスだ」とショッピングセンターですれ違いざまに白人の小さな女の子に言われたのは2月中旬でした。子供の素直な言動からも「アジア人=コロナウイルス」のイメージが持たれていたことがわかります。そこから1カ月も経たないうちにフランス国内で1万6千人以上にこの病気が広がってしまうなんて、誰が予測できたでしょうか(3月22日時点の仏国内の罹患者は16,018人です)。

 

2月初旬、私はTERに乗ってパリからリヨンに移動しました。「私が乗車することで気分を害する人がいるのではないか」と心配しながら鉄道を利用したのは初めてでした。自由に移動ができない指定席。私が乗り込んだ時には既に隣の席に白人の男性がいました。前後の席も埋まっています。その車両にアジア人は私一人だったので、ただ存在するだけで目立ってしまう状況でしたが、幸いなことに車内では何事も起きず、降車時には前に並んでいた男性が20キロ以上あるスーツケースを2階席から1階席へ降ろすのを手伝ってくれました。アジアの人々が「私はコロナウイルスではない」と切実に訴えていた2月に、私がフランスで抱いていたコロナウイルスに対する恐怖はこうした人種差別的な側面だったのです。

 

ここからたったの1カ月半で恐怖の「種類と重さ」がどんどん変わっていきます。日本に戻った今、私はこの「恐怖の変遷」を母国でもう一度経験するのではないかと恐れています。帰国後、目の前に広がった日本の景色と雰囲気は、フランスの3月上旬のようでした。カフェやレストランは賑わい、マスク姿の人は見るものの駅には人が溢れています。その光景だけで体が萎縮してしまうのは、たった数日だけでもフランスで「外出禁止令」を経験したことに起因すると思います。

 

本来であれば留学希望者の方に役立つように、留学に関する情報(授業内容やホームステイ、一人暮らしの日々)から書きたいところですが、残念ながら「コロナウイルスと留学」というテーマに変えなければ今は文章が書けそうにありません。私の通っていた語学学校は、休校措置が取られる前には既に半分以上の生徒がいなくなっていました。私より先に帰国を決めたアメリカ人のクラスメイトのやるせない表情と「これは僕の選択じゃない」という言葉は今でも忘れられません。みんな、大小様々な憧れや夢や希望を持って来ていたのに、2月から始まった授業は1カ月半で一旦終了となりました。その目まぐるしく変化した1カ月半のことを書いていきたいと思います。

 

(続きます)